ありがとうございます!わたしには、特に "こうあってほしい"という"考え"はありません。聞いた話を右から左に置いているだけです。世界中の誰もが生まれて今までずっと信じている説から少し離れて疑うのはとても大変だと思いますが、この手の聖書の話は、少なくとも1800年代から特に強烈に、権力者によって"一方的に与えられた"ものらしいので、内容がその当時地球を支配していた組織 (フリーメイソン?)が信じてほしい形になっていたとして、それを若い頃から熱心に信じてきたとすれば、与えられた聖書を真実として絶対に疑わない脳が形成されていることでしょう。新しい説を聞いても、おそらく激しい認知的不協和が起きるため、受け入れるのはとても難しいと思いますが、情報を集めて、保留しながら、繋げてみてください。聖書がすべて正しいならそれはそれでいいですが、いくらがんばろうが、真実はひとつなので、皆でそれを探している最中です。"敬虔な信者はヤハウェという名を呼ばない"というのは、わたしも聖書を学んだ時に知りました。ただ、わたしが最初にキリスト教を学んだ時、違和感を感じたのは確かで、それは、上から何をしたらダメだとか生贄持って来いとか、指図する部分や、尊敬すべき神のはずなのに、自分よりも寛大ではないし、ちょっとのことで怒っては怒りをあらわにする残念な性格なのはなぜだろう?と #辻褄が合わなかった からです。そして、いろいろ海外の本やらを読んでみたところ、旧約聖書と新約聖書は全く別物をくっつけた説などを知り、キリストはまあ良い人であるかもしれなくても、旧約聖書の神は悪魔であるというのもひょっとして本当かな? と感じました。わたしは熱心な研究者でも信者でもないのですが、これから情報を集めて確認しようと思います。どれだけたくさんの本を読んで得た知識でも、いままで図書館や本屋で簡単に手に入った知識であれば、残念ながら嘘の可能性もあると思います。なぜなら、誰でもすぐに手に入る情報のすべては、この地球の支配者が奴隷を洗脳し支配するためのプログラミングが施された内容に調整されていると考えるほうが #辻褄が合う からです。今後も、情報を並べて繋げて、#辻褄を合わせていく だけです。個人的には、「神を敬わねばならない」というのも、ひょっとすると洗脳かもと思ってます。だって、もし自分が神なら、たとえもし自分が誰よりもすごい能力を持っているとかであったとしても、「私を尊敬しろ!」とか、そんな偉そうで優しくないこと、みっともなくて言えないと思うからです。どれだけ頭がよかろうが美しかろうが、そんなこと言ったらドン引きされることすらわからず、こっちが敬わないとキレる時点で神としての資質はないし、むしろそれは悪魔の性質ではないかと...#辻褄を合わせると そうなります。なんで支配者が神を敬う癖をつけさせようとずっと頑張ってきたかというと、生贄やカネを貢がせ盲目的に従わせ支配するために、奴隷たちを永遠に弱く従順な状態に保つ必要があったからだと思います。宗教は最も美味しい詐欺稼業です。「私は神だ!」「私は神に一番近い!」と信じ込ませるだけでやりたい放題一生遊んで暮らせますからね。